保護という名目について考える。
世の中は面白い物でやってしまった後の理屈はどうにでもつくもので関係有るような事を並べ、こじつけ、「だからこれは必要だったんだ。」「やらなければダメだった。」という事は良く見受けられ、まかり通っている。政府がやっている不要な土木工事のようにやってしまった事はなかなか元には戻せないので周りは泣き寝入りする事になっているようだ。

日曜の朝、鳥見に行く車の中でラジオを聞いているのだが菅原文太の「日本人の底力」という番組に安田喜憲先生がゲスト出演していた。名前を良く聞いていなかったが多分そうだと思う。
環境と文明・人種の話をしていたのだがこの人の話を聞いて、面白いと思ったのは森の民と家畜の民の違いを説明していたくだりで土地を守ると言う事と別な土地を求めると言う説明に「なるほど!」と納得できた。環境問題に取り組んでいる方は読んでいると思うが環境問題の素人の私でも凄く面白い話だったので安田喜憲著『日本よ森の環境国家たれ』を読んでみるつもりだ。これからは我々森の民が家畜の民のやる事を真似して環境破壊を続けていく時代ではなくなっているのだ。
どうして日本人は何かを正当化する時に海外の例を出すのだろう?
環境破壊も森の民が家畜の民の真似をした結果だという理屈を言っている本のようだが早く手元に届かないかなと楽しみに待っている。
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