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野鳥のバンディング問題について考える。【その3】

バンディングにおける小鳥の持ち方について考える。
 前回、「かすみ網」は密輸入されてるかも?と言う風に書いたがあれは間違いで日本製は優秀な為、東南アジアに密輸出されてると言うのが正しかった。
気を取り直して続きを書く。
そうそう、今日、カワセミ戦隊からステッカーとか色々届いた。早速に貼らせてもらいます。
 バンデイングの問題について問題提起をしているサイトを見るとなんてむごい事をしてるのだ! 研究成果って何? ほんとに必要なの? と色々考えさせられた。

「かすみ網」で一網打尽に捕らえられていじくり回され、脚輪までつけられたのでは放鳥しても野鳥はこわがって同じ場所には来なくなるだろう。私はいやな思いをした場所は野鳥でも記憶の底に残ると思っている。私の様に毎年来てくれる野鳥を楽しみに待っている者にとっては非常に悲しい事だ。

 バンディングを問題提起されている方々を応援したいと思ったのはこの写真を見たからだ。この衝撃的な写真を見て欲しい。このページはサイトからは既に消されているのでスクリーンショットだ。スクリーンショットでも著作権が問題になるのかわからないがクレームが来るまで貼っておく。元はここにあった記事だ。
http://www.rakutai.co.jp/etc/nakagawa/doc/051.html

bakajyanaino.jpg

「何をやってるんだ!バカヤロー!」とどなってしまいたくなる。
「今日の獲物はカワセミ2羽!凄いだろう!」と獲物を自慢し、これから毛をむしって丸焼きにして食べる前という絵柄にしか見えない。食用のニワトリの脚をもってぶら下げているのとダブって見えてしまうのだ。
こんな事をやる(やらせる)のが標識調査なのか!標識調査は何のためにやってるんだ!建前は野鳥の為と言う事になってるが自分の見栄や虚栄心を満足させる為としか思えない。野鳥が好きで野鳥に関わっているのであれば標識調査が必要不可欠なものであったとしても野鳥に接する姿勢はもっと謙虚なものでなければならないはずだ。
私のような駆け出し小僧っ子バーダーなんかよりも自然には謙虚に接するというのは野鳥の研究者やナチュラリストを自認している人には常識なのではないかと私は信じている。
 昔、自宅に迷い込んだカナリアを飼っていた事があるが鳥かごの大掃除の時にはカナリアを捕まえる必要がある。この時、カナリアは捕まりたくないのと恐怖心で大騒ぎをする。怪我でもされたらこまるので如何にすばやく捕まえるか試行錯誤したものだ。捕まえても羽をバタバタさせるので怪我をしないようにやさしく手の中に納めて、動かないようにしなければとても怖くて持てない。小鳥を手にした人ならだれでもわかると思うが小鳥は弱々しく非常に華奢な生き物だ。くちばしを持ったり、脚を持ったりしたら羽をバタバタと大騒ぎするから事故が起きない方が不思議だ。脚だけ持たれて暴れないとすればかなり弱っているからとしか思えない。野鳥が動けなくなるまでストレスを与え、いじくり回してなにが野鳥の為なのだろうと感じるのは私だけではないはずだ。
多くを助ける為に多少の犠牲が伴う事は良くある事だが結果が伴うから理解され、犠牲になったものが報われるというものだ。
現状のバンディングは犠牲になった小鳥に対して報いる効果や結果を出しているのだろうか? 
私にはわからない。
 このような小鳥の取扱をしているのは本当に一部のバンダーの方だけなのだろうか?
バンディングの現場に一般の方や子供達、マスコミの取材の方が来ていれば、バンダーの方が野鳥の全体を良く見せる為に脚をもって見せたり、写真を撮らせたりするのは人間の行動として当たり前なのではないか? そうする事がバンディングを理解してもらう事だと思うだろう。なかには自分は専門家なのだから何をやっても安全に処置できるという思い上がりと見に来た人達に自分は特別なんだと言う事をひけらかす人もいるかもしれない。もし、私がバンダーなら自信が無い。
ただ、学術調査専門の方たちだけのチームなら学術研究として事務的にすばやく作業をして、放鳥するだろうという事も想像できる。

次回は保護という名目について考える。 次回へ続く・・・

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