野鳥のバンディング問題について考える。【その4】
保護という名目について考える。
世の中は面白い物でやってしまった後の理屈はどうにでもつくもので関係有るような事を並べ、こじつけ、「だからこれは必要だったんだ。」「やらなければダメだった。」という事は良く見受けられ、まかり通っている。政府がやっている不要な土木工事のようにやってしまった事はなかなか元には戻せないので周りは泣き寝入りする事になっているようだ。

日曜の朝、鳥見に行く車の中でラジオを聞いているのだが菅原文太の「日本人の底力」という番組に安田喜憲先生がゲスト出演していた。名前を良く聞いていなかったが多分そうだと思う。
環境と文明・人種の話をしていたのだがこの人の話を聞いて、面白いと思ったのは森の民と家畜の民の違いを説明していたくだりで土地を守ると言う事と別な土地を求めると言う説明に「なるほど!」と納得できた。環境問題に取り組んでいる方は読んでいると思うが環境問題の素人の私でも凄く面白い話だったので安田喜憲著『日本よ森の環境国家たれ』を読んでみるつもりだ。これからは我々森の民が家畜の民のやる事を真似して環境破壊を続けていく時代ではなくなっているのだ。
どうして日本人は何かを正当化する時に海外の例を出すのだろう?
環境破壊も森の民が家畜の民の真似をした結果だという理屈を言っている本のようだが早く手元に届かないかなと楽しみに待っている。
バンディング関係を調べてみると環境保護うんぬんという項目が必ず出てくるが「ほんとに役立つの?」と言う疑問が出てくる。確かにバンディングでなければ解らないデータがあると思うがそれは鳥類の研究であって保護とは別物ではないのか。保護をするための裏付け資料としての野鳥の生態研究は重要であるはずだがバンディングで得られたデータが自然保護に役立ったという報告や実績は無いようだ。よくわからない。
バンディングという研究方法は固体識別などについて言えば間違いないデータが得られるだろう。研究目的なら野鳥の保護等と言わず鳥類の生態を研究する為に野鳥の捕獲も必要なのだとはっきり言えばいいのだ。そして研究成果を一部の人の物にしないで公にどんどん公開して野鳥の研究を世間にアピールし、野鳥の生態系変化から見た地球環境維持の重要性などを世の中に問題提起していかなければ野鳥に関心の無い人は野鳥の研究には見向きもしないだろう。世の中の注目を集めればその研究成果が回りまわって自然保護に役立つ日が来るはずだ。
「都心でも沢山のカワセミが観測されるようになった。」「都心の河川の環境が良くなった証明だ。」「おわり。」と言う研究成果ではバンディングをする意味もないが。
見聞きする話ではバンディングの本来の成果があがらない為、関係者は苦心をしているように思われる。あせって、ボランティアバンダーに放鳥数を増やすように指示してるのかどうかは知らないがきちんとした統制管理がされていないので不心得者が後を絶たないのではないかと感じる。
立派なボランティアバンダーの方も大勢いると思うが資格を取って、申請さえすれば多大な責任権限を与える今の制度はいかがな物かと感じてしまう。
放鳥数を増やす事がボランティアバンダーの最大の任務なのかもしれないが資格を与えて後は好き勝手に放鳥数を増やせと放任していると思われる制度がどうかしているのだ。
学術研究(職業)とボランティアと言う人たちを明確に分け、ボランティアは国が認めた研究者が行うバンディングのお手伝いをすると言う考え方ではないのだろうか。
バンディングは良識を持った研究者の管理監督のもとで計画・実行するのが正しいだろう。それでも功名心が優先したり、名声を求める研究者なら全国にいる配下のボランティアバンダーに指示を出して無茶な事をさせるかもしれないが。!
研究者の定義がまた難しい!
バンディングが野生の保護の為の一部ではなく、バンディングはあくまでも研究の為で研究の成果が野生の保護に役に立つというのが正しいだろう。何かをやる時にはこじつけでもいいから色々な項目を列挙し、「どうだ!凄い事なんだぞ!」「だから予算をつけて」といった趣意書を書く事があるがバンディングに関してはそんなつもりは無いと思うが保護という言葉を入れておくのが一番素人受けするから入れてあるのではないかと穿った見方をしてしまう。 難しい問題だ。
次回は何の為のバンディング?? について考える。 次回へ続く・・・
